「鶏口となるも牛後となるなかれ」の本当の意味

秀才は京大ではただの人

こんばんは、ともやんです。

先日、10数年ぶりに友人に会いました。

その友人というのは女性です。
僕のむかしの同僚の奥さんなんですが、その同僚と結婚する前からの
知り合いなので、彼女のことは、友人の奥さんというより直接の友人と言った方がいいかな。

さて彼女とはお互いの家族の話になりました。

彼女には、二人の息子がいて、長男が京都大学を出ています。
優秀な息子なんです。

彼女の話で興味深かったのが、長男君は、高校時代は秀才としての誉れが高く、親も自慢だったそうで、京大に受かった時、僕にも電話がありましたが、嬉しいもんですから、いろんな人に電話しまくったようで。

ところが、京大に入るといままで地方の高校で秀才として崇められていたのに、周りは、みんな秀才として過ごしてきた人ばかりなので、はじめて普通の人として扱われたそうです。

結局、長男君は、理系にもかかわらず、公務員試験を受けて、公務員なったそうです。

つまり、高校までは秀才として扱われていたのに、
京大に入るとただの人になってしまったわけです。



鶏口となるも牛後となるなかれ

鶏口となるも牛後となるなかれの意味は、

大きな集団の中で尻にいて使われるよりも、小さな集団であっても長となるほうがよい。

という意味ですね

前出の長男君は、京大の理系に進んだのは、単に成績が良かったからだけで、やりたいことがあったから行ったわけではなかったそうです。

そうなるとただの人になることは、楽しいことではなくってしまいますね。

さて興味深い心理実験があります。

さて、貴方はどちらの環境を選びますか?

①あなたの年収は、5万ドル。あなた以外は人たちは2万5千ドル。

②あなたの年収は、10万ドル。あなた以外の人たちの年収は、25万ドル。

さあ、あなたはどちらを選びますか?

僕は、②の10万ドルの方を選びますね。

ところが、56%の人が、①を選んだそうです。

つまり人は、お金の価値を決めるのは、絶対的な金額ではなく、
相対的な金額で、いくら稼ぐか、よりも、周囲よりも稼ぐ、
を優先するんですね。

まとめ

つまり人は相対的に自分が優れていることを好むんですね。

だから、鶏口となるも牛後となるなかれという意味は、
自分の虚栄心を満足させるには、自分のレベルよりも

低いところに行った方がいいよ、という意味だと思います。

知らんけど^^




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