日本の政府なのかメディアなのか、
一億総〇〇という言い回しが、どうも好きなようです。
真面目な納税者として、はっきり申し上げたいのですが、
こんな十把一絡げ的な言い方は、言う側の傲慢さと驕りでしかなく、
政府がこのような言葉を使って国民をコントロールしようなんて、
非常に危険極まることであります。
だから政府が、一億総〇〇という言葉を使い出すと、国民の1人として
非常に胡散臭く聴こえるのは、僕だけではないと思います。
さて、僕くらいの年代の人は、一度は聞いたことがあると思いますが、
今日は、一億総白痴化という言葉について考えたいと思います。
一億総白痴化って誰が言ったの?
一億総白痴化とは、ジャーナリスト、評論家の大宅壮一(1900-1970)が作った造語です。
昭和32年(1957年)に最初に使われたようなので、もう60年以上前のことになります。
TVやラジオで辛口のコメントなどをされている大宅映子氏は、壮一氏の三女です。
昭和20年の敗戦後流行した、「一億総懺悔」をもじったと言われています。
日本のテレビ放送は、昭和28年(1953年)に放送が開始され、テレビは急速に普及しました。昭和31年の暮れには、テレビの普及も30万台を突破して、
テレビ番組の社会的影響が問題となり始めた頃にあたります。
大宅氏が使って以来、テレビに限らず、低俗化を批判することばとしてひろく使われるようになりました。
一億総白痴化よりひどい一億総懺悔
大宅氏がもじったと言われる一億総懺悔。
こんな言葉が敗戦後流行ったそうですが、悲しい気持ちになりますね。
戦争を始めて敗戦になり、国土を荒廃させ、国民に苦難な生活をしいたのは
全く国家の責任で、それを国民にも責任があるかのように、
懺悔と言う言葉を使っていること時代、この言葉を言い出した人、組織こそ、
懺悔すべきと思います。
全くどういうつもりで言ったのか。
一億総〇〇という言葉が出て来たら気をつけろ
最近だと、政府が言い出した、一億総活躍社会ですね。
国民一人ひとりが、生き生きと仕事をして生活を楽しめる社会ならいいですが、
この裏には自分のことは、自分でやってという国家自体が国民を突き放すかのような、
弱者を切り捨てるかのような冷たさを感じます。
そんな社会にはしたくないですね。
自分でなにが出来るか真剣に考えたいと思います。
まとめ
僕が生まれた頃はどんなことがあったんだろう、と調べていたら、
一億総白痴化と言う言葉が、その頃最初に言われたということで驚きました。
もっと新しい言葉だと思っていたからです。
「身捨つるほどの祖国はありや」
官僚機構や政治への期待は毎日のように裏切られています。
官僚たちや政治家たちは、この日本と言う祖国に身を捧げることが出来るのか?
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