モスクワの6月は夜は更けない
おはようございます、ともやんです。
今日は、モスクワの思い出第3弾です。
モスクワは、北緯55度に位置するので、夏至を挟んで6月~7月は、
陽が長く、この時期に出張に行くと、夜は見なかったですね。
ただ、正確にはモスクワの緯度ですと、白夜とは言わないようです。
同じロシアでも、もっと北の北緯59度にあるサンクトペテルブルクなどは、ちゃんとした白夜なんでしょうね。
白夜というと五木寛之氏の小説を思い出します。
五木氏は、自身は北欧を旅した経験から、白夜を題材とした小説を何篇か書かれています。
白夜というとつい高校生の頃、夢中に読んだ五木氏の作品を思い出します。
ロシアへの憧れ
僕は、北陸富山の出身です。
生まれた町は、富山湾に面した小さな漁村で、僕の生家から海までは、
100mちょっとしかありませんでした。
小学生の頃は、学校が終わるとすぐ釣竿を持って、漁港に行き、
魚を釣ったものです。良く釣れたのがメジナでした。
あと、リールを付けて投げ釣りをするとキスもバケツ一杯釣れたものでした。
その頃の僕は、海の向こうにロシアという大きな国があると
漠然を想っていました。また、水平線の向こうにかすかに見える灯りをみてあそこってロシアなんて言って笑われたこともあります。
その灯りは、富山湾に覆いかぶさるように突き出ている能登半島でした。
そんな地域に生まれ育った僕なので欧米よりもロシアへの憧れが強く、
いつか行ってみたいなと漠然と考えていました。
そんな憧れは、中学生から高校生に掛けて、チャイコフスキーを聴いたり、ドストエフスキー、トルストイ、ツェルゲーエフの小説を読んだりしたものです。
白夜のロシアの過ごし方
ロシアでの仕事は、午後5時には終わったので、白夜の夜は、そのままホテルに帰ってもつまらないので、良く街をぶらついたものです。
良く行ったのが、プーシキン美術館。
日本円にして200円程度の入館料金で、充実した絵画が観られるので
良く言っていました。
あと、モスクワは地下鉄が充実していますので、地下鉄に乗って郊外に行き、広々とした公園のような街をあてもなくぶらついたりしました。
また、モスクワの地下鉄構内は、どこも美術館のような装飾を施されていて、駅自体を観て回ってもそれはそれは、充実した時間を過ごすことが出来ました。
地下鉄を乗るときは、地下鉄用のコインを買って乗るのですが、
当時の日本円にして、2~3円程度でした。
またボリショイ劇場にバレエも観に行きました。
本場のバレエも素晴らしかったですが、街中では地味な印象のロシアの方達の特に女性たちの着飾った姿には、目を奪われ驚いたものです。
白夜の酒場にて
白夜の時期は、夜の9時になっても10時になっても明るいです。
ホテルの部屋にいってしまうのももったいなので、酒場で飲むこともありました。
ある日、ホテルに地下にあるビアホールで飲んでいたら、
30代前半と思われる女性に声を掛けられました。
「お一人?ご一緒していいかしら」
「どうぞ」
「どこから来たの」
「日本」
なんて会話をしたと思います。
相手はロシア語で、英語も良く分からないようなので
分かる単語だけで判断していました。
ちなみにモスクワでは英語は通じません。
多分、日本国内と同じ程度だと思います。
でも、さすがにホテルのフロントは英語は大丈夫ですが、
売店などのおばちゃんなどは全く通じなく、それでもロシア語で、
僕は英語でもなんとなく通じるんですね。
おもしろいですね。
また、日本人は若く見られる傾向があって、ぼくなんか30才にも関わらず、20才とか中には高校生なんて言われたこともあったくらいです。
話は戻しますが、妙齢の女性と話していると、
「私の部屋に来ない?」
というので、若い僕は、あっさりOKと言ってしまいました。
あとで考えると怖いことなのですが、部屋に行ったら怖いお兄さんがいて、身ぐるみ剥がれて追い出される可能性もなくもなかったのですが、やはり若かったのでしょうか、彼女とタクシーで彼女のアパートに行きました。
行ってみると、一人暮らしのようででもアパートの広さとしては
それなりにあったと思います。
彼女の目的はわかっているのですが、僕は紅茶を飲んで、お話をして、
猫がいたので、猫と遊んで帰ってきました。
多少にお茶代はお渡ししましたが。
ロシアでは、普通の女性でも生活のためにそんなことをしていると
聞いたことがあるますが、その真意は僕の浅い経験ではわかりません。
その後のロシア
僕がモスクワに最後に行ってから、23年経ちました。
僕は、ちょうど行っている間に、共産党独裁はなくなり連邦も崩壊しました。
一時混乱もしていましたが、その後は経済的も成長しています。
元気な内に行ってみたいなと思います。
にほんブログ村
↑
ポチっとクリック応援お願いします。
コメント