こんばんは、
こめまるです。
夏も終わりですね。
今日は久しぶりに30℃近くまであがりました。
でも蝉の声も、ツクツクボウシだけで、日差しも弱く、
大気もまとわりつくこともなく、爽やかなものになってきました。
さて、9月になると毎年思い出すことがあります。
もう今から24年前の話なんですけどね。
飛行機が落ちないことを願った日
1993年9月初旬、僕はモスクワ行きのアエロフロート機に乗るため
成田空港にいました。
当時僕は36才。
この年の1月に29才の女性と結婚したばかりで、10月初旬には、妻が出産を控えていて、お腹は大分大きくなっていました。
この時、モスクワの出張はもう10数回目を数えていました。
この辺、適当な僕はいちいち数えてはいませんでしたが。
ソビエト連邦崩壊により混乱していたモスクワも大分落ち着いてきているようでした。
出張期間はわずか4日。
仕事はダイヤモンドの買い付け。
当時のロシアは(今もあるのかどうかは不明)研磨済みのダイヤモンドを海外のダイヤモンドを扱う貿易商社や大手のジュエリー会社に販売していました。
僕は89年から年4~5回ベースでモスクワに買付に行っていました。
ただ、93年当時は、バブル崩壊の影響で国内の需要も下がり、ダイヤモンド輸入業者の淘汰されている時代で、結局、僕は翌年の2月を最後にモスクワには行かなくなりました。
さて、僕はそれまで数十回は、海外行きの飛行機に乗っていましたが、乗っていて怖いと思ったことは一度もありませんでした。
幸い、大きな揺れなどに合わなかったからもしれません。
大体、気圧の関係か、離陸すると眠くなってしまい、気が付くとすでに水平飛行になっているパターンが多かったように思います。
しかし、93年の9月は違いました。
もうあと1ヵ月ほどで生まれる子供の顔が見たい、とそれだけを想い、
この時ばかりは、飛行機が落ちなことを願った日はありません。
最後に
9月のモスクワはもう寒いです、東京の11月後半くらいの感じ。
公園に行くともう木々の葉っぱが散っています。
モスクワでの仕事が終わって、帰りの飛行機も無事に成田に着きました。僕が主張から帰って2週間後に長男が生まれました。
母子ともに元気でした。
僕は、それ以降も約10年間、海外出張で飛行機に乗りましたが、
後にも先にも
「落ちないでくれ!」
と手を握り締めて願ったのは、
1993年9月のモスクワに行った時だけでした。
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