こんにちは、定年後は合唱活動を楽しんでいるこめまるです。
さて、今回は30年ぶりに訪れたアメリカのニューヨークで、しかも伝統あるカーネギーホールで歌ってきたお話しです。
夢の舞台NYのカーネギーホールで歌う
2025年7月16日(水)午後8時から開催された「第10回ニューヨーク合唱フェスティバル」に参加してきました。
会場は、世界的にも名高いニューヨークのカーネギーホール。
僕にとっては、1940~50年代に名指揮者アルトゥーロ・トスカニーニがNBC交響楽団と数々の名演を繰り広げた場所として、レコードを通じて記憶に深く刻まれている特別なホールです。
そんな憧れの舞台で、自分が歌えるなんて夢のようなこと。
実際にその夢が叶った瞬間でした。

※ステージ裏の控室にて
今回のフェスティバルは記念すべき第10回目、そして残念ながら最後の開催でした。
しかも開催直前に主催者側の混乱があり、開催自体が危ぶまれる状況に。
それでも関係者の方々の懸命なご尽力により、無事に幕を開けることができました。
心から感謝しています。
平和を歌うプログラム
僕が所属する団体では、寺島尚彦作詞・作曲の「さとうきび畑」、ジョーン・バエズでも知られる反戦歌「We Shall Overcome」、そしてオスカー・ピーターソンの「Hymn to Freedom」など全6曲を披露しました。
合同演奏では、ジョン・レノンの「Imagine」や、日本で長く歌い継がれている「翼をください」など、平和・自由・人権・希望をテーマにした楽曲が並びました。
現代アメリカ、特にトランプ政権下にある今のニューヨークで、こうしたメッセージを仲間とともに声に乗せて伝えられたことは、大きな誇りであり、人生の宝物になりました。
さとうきび畑について
その歌声に憧れ耳を傾けていた森山良子さんの歌でそれなりに知っていましたが、この歌の誕生については、今回歌うにあたり初めて知りました。
作曲と作詞は、寺島尚彦氏。
1964年、寺島さんがが歌手石井好子さんの伴奏者として本土復帰前の沖縄を訪問した際に、摩文仁の丘を観光して着想した作品です。
全部で11連からなり、通しで歌うと11分近くを要するため、通常は要所要所を残して大部分はカットして歌われることが多いようです。
今回僕らが歌ったのも、時間の関係で第1曲と最後を歌ったのみでした。
そのこの歌の誕生日秘話を知れば知るほど、淡々と歌う中に思いを込めて歌いたくなります。
We Shall Over Comeについて
高校生の時にジョーン・バエズに歌で知った曲。
当時の僕は、自分自身もギターを始めたばかりで、ギター1本と歌声だけで世の中の理不尽を訴えていくプロテスト・ソングやフォーク・ソングをよく聴いたものです。
その中の1人にジョーン・バエズがいました。
端正な美貌と澄んだ歌声。
その歌声は、静かで憂いと悲しみを湛えたもので、僕は今でも彼女の歌声を聴くと胸が締め付けられます。
先日公開された映画「名もなき者」(邦題)で、ストーリーの中にボブ・ディランとの関係も組み込まれていました。
ジョーン・バエズの歌で知った「We Shall Over Come」を50年後にニューヨークで歌うなんて当時の僕は当然思いもしなかったことです。
この曲が歌えたことでニューヨークまで行った価値があると僕自身は思っています。
CDやLPでは現在適当なアルバムが見つけられません。
ぜひYoutubeか音楽配信等で探してみてください。
Hymn to Freedomについて
カナダ出身の偉大なジャズメン。
青山にあるカナダ大使館の中にオスカー・ピーターソンホールのいうのがあり、僕自身はそれで彼がカナダ出身と知りました。
オスカー・ピーターソン・トリオの演奏は感動的です。
Youtubeで聴くことができます。
ジョン・レノンのImagine
言わずと知れたジョン・レノンの傑作。
今ほどこの曲が必要な時はないのではないだろうか!?
セントラルパーク沿いに北に向かって歩いているとジョン・レノンが住んでいたダコタハウスというアパートメントが左手に見えます。


その向かい側からセントラルパークに入るとイマジンの記念碑がありました。
近くでは関連のグッズを売る出店が出ていて、ギターを弾きながらビートルズの曲を歌う人もいました。
可愛い犬を抱く青年から、ジョン・レノンのバッジを3個10ドルで買いました。
翼をください
僕は1957年生まれなので、60年代後半からのフォークブームには、ある程度ブームが落ち着いたこと知ることになり、影響を受けたものです。
しかも僕は最初クラシック音楽が好きだったためポップスに目覚めるのが遅く高校生になってからで、周りからは遅れてきたやつという感じでした。
でもギターを始めると当然赤い鳥の「竹田の子守唄」や「翼をください」を弾いて歌ったものです。
ニューヨークの街歩きと人とのふれあい
滞在は現地時間で7月15日夜11時頃から7月18日夜9時頃まで。
フェスティバルがメインの目的でしたが、残りの自由時間は観光に追われることなく、街をのんびり歩いたり、映画を観たり、スタバやバーでビールを楽しんだりと、自分なりのニューヨーク時間を満喫しました。

今回が2回目のNY訪問。
最初は1995年12月、仕事で上司と数日間滞在しました。
当時は英語を話さなきゃ、通じなきゃと力が入りすぎて、逆に空回りしてしまった苦い思い出も。
そんな記憶があるからか、今回も多少の緊張と不安を抱えての渡航でしたが、それをふっと軽くしてくれた出来事がありました。
「CVSだよ!」心がほぐれたNYの夜
到着した日の夜11時過ぎ、ホテルの近くで仲間たちとビールを買える店を探していたときのこと。
深夜営業中のスーパー前で見かけた若い女性に、「このお店、ビール売ってますか?」とたずねると、「売ってるけど高いよ。49丁目のCVSって店が安いから、そっちに行ったほうがいいよ」と教えてくれました。
僕が「CBSね、ありがとう」と返したところ、「NO! NO! CVSが正しい!」と、わざわざ“V”の発音を口で示して、にこやかに訂正してくれたのです。

そのひと言で、僕の緊張はすっかりほぐれ、街との距離がぐっと縮まった気がしました。
ジュラシックワールド 日本公開前に
今回の目的に一つに、「ジュラシック・ワールド/リバース」(邦題/約束の大地)を観ることでした。
全米公開は7月2日で、日本公開が8月8日ということで以前このブログでも期待を込めて紹介していました。
↓ ↓ ↓
2025年夏公開のジュラシックワールドの最新予告編を考察
AMCというチェーン展開している映画館がありホテルから地下鉄と使って30分ほどで行けるリンカーンセンター近くの映画館に友人と行きました。

ストーリーは日本公開がまだなので詳しくは語られませんが、特にハラハラドキドキの連続です。
シリーズ初登場のスカーレット・ヨハンソン、ジョナサン・ベイリー、マハーシャラ・アリも適役を感じました。
いままでこのシリーズで登場しなかった恐竜たちも登場します。
日本で公開されれば改めてレビューを書きたいと思います。
ただ、前年だったのが、平日の午前中の上映だったため、人も少なく観客のアメリカ人たちの大げさなリアクションを感じることは出来ませんでした。
また当然字幕がないのでストーリーの意味がいまひとつ理解できない部分があったのは残念です。
日本での公開が始まれば、字幕と吹替の両方に行きたいと思っています。
短くても深い、NYの時間
あまりに短い滞在でしたが、ニューヨークという街は全体的にゆるやか雰囲気で、人の温かさも印象的でした。
また行きたいな、行けたらいいな─そんな思いを胸に、帰国の途につきました。



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