ジョン・レノンの命日に思いを馳せて 平和の歌を歌う理由

音楽
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こんにちは、
こめまるです。

12月8日はジョン・レノンの命日です。
亡くなったのが、午後11時過ぎだったそうですから、日本時間では、この記事を書いている今日12月9日でした。

世界が混乱し、分断が語られ、不寛容が力を持つ現代において、その歌声とメッセージはむしろ年々重く響いてきます。

45年前、1980年12月8日の夜。
ジョンは住まいのダコタハウス近くの路上で、狂信的なファンによって銃撃されました。
享年40。

※ダコタハウス 筆者撮影

世界が凍りついた瞬間でした。

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ジョン・レノンの訃報に接して

日本に訃報が伝えられたのは翌12月9日の午後。
私は大学近くの喫茶店でアルバイトをしていました。

有線放送から、妙に立て続けにジョンの曲が流れ、胸騒ぎのような「いやな予感」があったことを覚えています。

なぜなら、その3年前の夏休み、帰省もしない同じ喫茶店でバイトしていたら、有線放送から、エルヴィス・プレスリーの曲が立て続けに流れていたのです。

チーフが「死んだのかな」とぽつり。
僕が「まさか」と答える。
その後、ニュースで知ったプレスリーの早すぎる死。

下宿に戻り、何気なくつけたラジオから流れたニュースで現実を悟りました。
「いやな予感」は残念なことに当たっていました。

ジョン・レノンの早すぎる死。
ショックで何も手につかず、ただレコードプレーヤーに針を落とし、ひたすらジョンのLPを聴き続けました。
まるで何かを確かめるように。

ニューヨークのセントラルパークで

ことし2025年7月、僕はニューヨークのセントラルパークに立っていました。
ジョンが暮らしたアパートの近くにある「ストロベリー・フィールズ」と呼ばれる記念碑―「IMAGINE」の文字が刻まれたモザイクには、今も世界中から訪れた人が静かに花を手向けています。

そこに足を運びながら、ふと思いました。ジョンは「平和な理想」を歌ったが、同時に「理想だけでは世界は動かない」ことも知っていた人だったのではないか。


※イマジンの記念碑の前で筆者

実はその前日、私はカーネギーホールのステージに立っていました。
「さとうきび畑」
「We shall overcome」
「Hymn to freedom」
「Imagine」
「翼をください」

平和、人権、自由。
国を越えて同じ想いを歌で重ねた時間でした。

トランプ政権下のニューヨーク。
社会の空気に緊張と分断が漂うなか、こうした曲を歌い上げること自体が、一つのメッセージだったと後になって思います。

拍手は温かく、真剣で、そこにいるすべての人の眼差しに「聴きに来た」以上のものを感じました。

わずか20分ほどのステージでしたが、旅費を稼ぐためにアルバイトの掛け持ちをしてニューヨークまでやってきた甲斐がありました。

カーネギーホールで行われた「第10回ニューヨーク合唱フェスティバル」には、僕ら日本からだけではなく、地元のアメリカ、そして今なお戦況に苦しむウクライナからも合唱団がやってきていました。

僕の好きなジョンのアルバム

僕が好きなジョンのアルバムを紹介します。
残念ながら大好きなアルバム「ロックンロール」が、現在新規盤として入手が難しいようですね。一時的だと思いますが。だから今回は外しました。

ということで以下の3枚をご紹介します。

ジョンの魂 Plastic Ono Band

ソロとしての最初のアルバム。
シンプルなバンド編成で粗削りな感じもしますが、それだけにストレートで生身のジョンの感情が伝わってきます。

だからBGMとしては相応しくないけど、ハートにグサッとくるアルバム。

Plastic Ono Band<限定盤>

2010年時のオノ・ヨーコ監修、アビーロードのエンジニアAllan RouseとニューヨークのAvator StudiosのGeorge Marinoによるリマスター音源を使用。今回のLP盤用にアビーロードにてSean Mageeが新たににカッティングを行い、ドイツのOptimal MediaがLPを製造。

イマジン Imagine LP

ジョンの「Imagine」は夢想家の歌ではありません。
思考停止の理想論でもありません。
「違いを認め合うことから始めよう」
「国家や宗教や所有の概念に縛られず、まず想像してみよう」

その“はじめの一歩”を世界に投げかけた歌です。

ニューヨークで歌って初めて、言葉ではなく「行動」で平和を示すことの重さを実感しました。
と同時に、心のどこかで思いました。

John Lennon Imagine [LP]<限定盤>

2010年時のオノ・ヨーコ監修、アビーロードのエンジニアAllan RouseとニューヨークのAvator StudiosのGeorge Marinoによるリマスター音源を使用。今回のLP盤用にアビーロードにてSean Mageeが新たににカッティングを行い、ドイツのOptimal MediaがLPを製造。

Sometime In New York City

1972年のアルバム。
ジョンのアルバムの中では、特に評判の高いものではないし、LPの2枚組で、2枚目はジャム・セッション的なライブ録音。

しかも、ヨーコの受け持っているパートも多いのですが、僕はこのアルバム好きです。
ボーカリストとしてのジョンを楽しむことが出来るし、ヨーコに歌声も今聴くと若々しく、意外とチャーミングに感じます。

Sometime In New York City

2010年時のオノ・ヨーコ監修、アビーロードのエンジニアAllan RouseとニューヨークのAvator StudiosのGeorge Marinoによるリマスター音源を使用。今回のLP盤用にアビーロードにてSean Mageeが新たににカッティングを行い、ドイツのOptimal MediaがLPを製造。

最後に

ニューヨークで歌った、平和、人権、自由を訴える曲を日本でも、歌わなきゃいけないんだろうな、と思います。

SNS、メディア、政治、日常の会話。

議論より攻撃が目立ち、意見の違いが断絶に変わり、言葉が人を傷つける日々。
だからこそ、歌の力、文化の力を信じたい

誰かが発した声が、もうひとりの誰かを救うことがある。
ジョンが遺したメッセージは、それを私たちに証明してくれたように思います。

45年。あの夜から時だけが流れましたが、問いは未だ続いています。
「想像してごらん」
「そして歌ってごらん」

平和を願う歌は、どんな時代も古びません。
むしろ必要とされる瞬間に、再び立ち上がり、聴く人に矢のように届きます。

今日、ジョンの命日にあらためて、あの魂の歌声に耳を澄ませたいと思います。
彼の願いはまだ終わっていないのだから。



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