こんにちは、こめまるです。
先日、映画館で話題作「ベートーヴェン捏造」を観てきました。
さらにその後、オーディブル版でも全編を聴き終えたのですが、率直に言ってこの二つの体験には大きな差がありました。
その映画とオーディブルとの違いについて記したいと思います。
ベートーヴェン捏造の映画とオーディブル
「ベートーヴェン捏造」は、かげはら史帆の作品で2018年に出版されています。
もう7年も前ですが、僕は当時そのことは残念がら知りませんでした。
クラシック音楽しかも一番好きな作曲家がベートーヴェンであるにもかかわらず、恥ずかしい話です。
ということで今回の映画にはどうしても期待してしまいました。
公開初日に映画を観たが
公開初日に駆けつけて観た映画版は、どうも期待していたほどには楽しめませんでした。
脚本を手がけたバカリズムさんらしい軽妙な工夫や、観客をくすりと笑わせる仕掛けも随所に盛り込まれていて、それなりに面白いのです。
しかもベートーヴェンの名曲の数々が劇中で流れ、音楽的にも贅沢な内容。
それなのに、心の奥底を揺さぶられるような体験にはならなかった。
劇場を出てからも、なぜあんなに物足りなさを感じてしまったのか、自分でも不思議で仕方がありませんでした。
オーディブルで聴いてみた
一方、オーディブル。
これがもう、むちゃくちゃ面白かったのです。
もともと図書館で本を借りて読もうとしたものの、忙しさもあって最後まで読み切れずに返却してしまっていました。

そこに映画公開と合わせてオーディブル配信が始まったと知り、家事や移動の合間に聴き始めたのですが、これが予想をはるかに超える臨場感と面白さ。
洗濯物を干す手が思わず止まるほど、夢中になって聴き入りました。
文章としては少し難解に感じていた部分も、声で聴くことでスッと頭に入ってくる。
オーディブルという形態の魅力を改めて実感しました。
両者の差を生んだものは何か?
考え込むうちに、僕は日常生活のいろんな場面でこのことを反芻していました。
トイレに入っているときも、シャワーを浴びているときも、さらにはアルバイト中までも。
頭の片隅にずっと「どうしてオーディブルではあんなに面白かったのに、映画では心から楽しめなかったのだろう?」という問いが残り続けていたのです。
たどり着いた結論
やがて、ふとある結論にたどり着きました。
それは、キャスティングの問題ではないか、ということ。
特に主人公であるベートーヴェンの秘書、アントン・フェリックス・シンドラーの描かれ方です。
映画では山田裕貴さんがこの難役を務めています。
山田さんは「ゴジラ-1.0」でも重要な役を演じ、若手実力派として高い評価を受けている俳優。
今回も前半部分では、若き日のシンドラーがベートーヴェンの秘書として仕え、まだ理想や野心に燃えている姿は、とても説得力がありました。
山田さんの持つ真っすぐさや瑞々しいエネルギーが、その青年期のシンドラーにぴたりと重なっていたのです。
違和感を憶えた後半
しかし物語が進み、ベートーヴェン亡き後にシンドラーが本性をあらわし始めるあたりから、僕は違和感を覚えました。
史実でもシンドラーは、ベートーヴェンの評伝を編纂する過程で自らに都合よく資料を改竄し、後世に「ベートーヴェン像」を捏造したとされる人物です。
その姿は理想を追う青年ではなく、狡猾で計算高く、自己正当化のためには平気でウソを重ねる中年男。
ここで求められるのは、したたかさやうさん臭さ、そして観客をぞっとさせるような厚みのある人物造形です。
ところが、どうしても山田さんの若さや爽やかさが前面に出てしまい、そのペテン師としての「迫力」が弱まってしまったように思うのです。
理想の配役を妄想
「ベートーヴェン捏造」では、主演の山田裕貴さん、ご本人の力量不足ではなく、年齢的なハンデが大きいでしょう。

観る側としても、どうしても「まだ若い山田さんが演じている」という意識が拭えず、役柄の狡猾さよりも、役者本人の誠実さや清潔感が勝ってしまった。
そこに物足りなさを感じたのだと思います。
なんと言ってもひとつの作品の中で、20代から亡くなる60代まで演じなければならなかったことを考えると大変だったと思います。
狡猾さと人間臭さのリアリティ
このとき僕の頭にすぐ浮かんだのが、同じく「ゴジラ-1.0」で山田さんと共演していた佐々木蔵之介さんの存在でした。
蔵之介さんは、どんな役を演じてもどこかに「人間臭さ」と「狡猾さ」を漂わせることのできる稀有な俳優です。
少し笑えば温厚に見え、少し目を細めれば一気にうさん臭く見える。そのしたたかさこそ、中年以降のシンドラー像には不可欠だったのではないでしょうか。
贅沢なキャスティングを妄想
贅沢な妄想になりますが、もしも映画が二部構成で、青年期のシンドラーを山田裕貴さんが演じ、中年以降を佐々木蔵之介さんが演じ分ける、という大胆なキャスティングが実現していたらどうだっただろう、と考えてしまいます。
そうなれば物語の前半と後半で役者の演技に鮮やかなコントラストが生まれ、観客はシンドラーという人物の変貌をよりリアルに感じられたはず。
映画全体の厚みもぐっと増していたのではないか、と想像せずにはいられません。
まとめ
「ベートーヴェン捏造」という作品は、クラシック音楽に興味のある人間にとって実に刺激的なテーマを扱っています。
偉大な作曲家の死後、その評伝や手紙がいかにして改ざんされ、後世に伝わったか。
その真実を暴き出す過程は、音楽史の裏側に迫るスリリングなドラマです。
オーディブル版で感じた知的興奮はまさにそこにありました。
そして映画版は、その知的興奮に加えて視覚的な楽しさやコミカルな脚色を重ねることでエンターテインメントへと昇華させようとした。
しかし、僕にとっては主人公シンドラーのキャラクター造形が弱かったために、その魅力が最後まで届かなかったのです。
とはいえ、作品そのものは挑戦的であり、こうした議論を呼ぶこと自体が「ベートーヴェン捏造」という企画の成功でもあるのかもしれません。
観客一人ひとりが「なぜ面白いと感じたのか」「なぜ物足りなかったのか」を考え、議論できる。
もしかしたら、バカリズムさんの狙いはそこだったのではないか、とさえ思いました。
そしてまた映画が観たくなったのです。


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