こんにちは、
こめまるです。
今日は、60才と35日目。
定年退職して、そして再雇用者となって1週間が過ぎました。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の中の一節に、人の死は、自分の最期は、どうにもできない、ならば、生きて行くことだけを考えればよい、という意味の言葉を竜馬が言っています。
小説の中での坂本竜馬は、リアリストで合理主義者でした。
それが、当時の侍たちとの意識との差があり、そこも読んでいて面白いところです。
さて、僕の今日のネタは人生には期限があるということです。
それも自分ではわからないのです。
先のことがわからないから面白い
昨日の記事で、ケンタッキーフライドチキンの創業者カーネル・サンダースやマクドナルドの創業者レイ・クロックが伝えた、いくつになっても意欲と情熱があれば前に進める、と書きました。
その考えは変わらないし、僕もそう生きたいと思っています。
一方、人生に期限があることは、周知の事実です。
しかもそれがいつか来るかわからない。
僕は、いくつになってもやりたいことをやると人生の期限がわからないということを考えると、
いつもクラシック音楽の指揮者ゲオルグ・ティントナー(1917-1999)のことを思い出してしまいます。
ゲオルグ・ティントナーは、ナチスの迫害により、忘れられた指揮者で終わっていたかもしれない人でした。
簡単にティントナーの経歴を記しますと、
ティントナーは、幼少期より音楽の教育を受け、19才でウィーン・フォルックスオーパーの仕事に就きこれからプロとしての船出の時期に、
ユダヤ系ということでナチスの迫害を受け、苦難の生活が始まりました。
そして紆余曲折の後、香港のクラシック音楽のレベール・ナクソスのブルックナーの交響曲全集の指揮者として迎えられたのが、1994年。
その時、ティントナーはなんと77才の時でした。
そしてナクソスの一大プロジェクト、ブルックナーの交響曲全集を完成し、一躍世界中の音楽ファンの注目を集め、さあこれから巨匠として歩もうかという時に、なんと既に病魔に侵されていることがわかるのです。より詳しい記事はこちらを参照ください。
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ゲオルグ・ティントナーのブルックナー 人生捨てたもんじゃない
まとめ
忘れられかけた名指揮者ゲオルグ・ティントナーの幸運と悲劇について触れましたが、僕はこれからの人生を考える時、司馬遼太郎が竜馬に言わせた考え方と、ティントナーの数奇な人生を思い返してしまいます。
僕も、もう残りも少ないんだから、やりたいことをやって、人生捨てたもんじゃないよ、と言って逝きたいですね。
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