ベートーヴェン 運命 初演の日

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こんにちは、
こめまるです。

1808年12月22日つまり今から215年前の今日ウィーンにて、ベートーヴェンの交響曲2曲とピアノ協奏曲1曲を含む4時間におよぶ大演奏会が開かれました。
発表された曲は、全てベートーヴェンの新作で彼自身の指揮で行われました。

2曲の交響曲は、のちにベートーヴェンの代名詞とも言われる第5番「運命」と第6番「田園」でピアノ協奏曲も第5番「皇帝」と人気を2分する第4番でした。
また最後には「合唱幻想曲」も演奏されました。ただ記録によると会場のアン・デア・ウィーン劇場は暖房もなく、観客は午後6時半から4時間に渡って震えながら聴いたようです。

つまり12月22日は「運命」初演の日なのでした。

またオーケストラやソリスト、合唱団もリハーサル不足というかほとんどぶっつけ本番だったようで、曲の途中で大きなズレが生じたり、最後の合唱幻想曲に至っては中断されたりしたそうです。

当時のウィーン新聞では、5日前にこの演奏会の告知をしていますが、開催後の論評は見当たらないとのこと。つまり演奏会は成功とは言えず、むしろ失敗だったようです。

しかし、その後現代まで世紀の傑作と讃えられるこれらの作品は、ベートーヴェンの失敗にもめげない不屈の精神と鋼鉄の意志があったからこそと思うのです。

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ベートーヴェン 運命初演の日 小説化

想像力と文章力がある人だったら、「運命」初演の日を一篇の小説に出来るんではないでしょうか?
初演当日。
12月も終わりに近い22日のウィーンは、陽も短い。
多分午前9時過ぎにようやく明るくなる、そして午後3時過ぎには暗くなっていたのではと思う。
僕は、ウィーンには行ったことがないが、ベルギーのアントワープではそんな感じでした。

午前中に集まってゲネプロをやって昼食。
開演前に多少のリハーサルをやって、ええいもういいやこれでいっちゃえ、なんて本番に突入したのではないだろうか。

観客席は、暖房もなく寒かったそうだが、当然ステージもそうで、演奏者も大変だったと思う。
始まりがあれば、必ず終わりがある。
熱血漢ベートーヴェンは、そんな奏者を叱咤激励しながら、よろよろ、ふらふらしながらもなんとか、4時間のコンサートを終えています。
金にうるさいベートーヴェンのこと、この演奏会の収益はどうだったのでしょうか?
もっと、もっとベートーヴェンのことが知りたくなりました。

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最後に

ベートーヴェンというと凄い人だとわかっても、気難しくて頑固で友達にはしたくないというイメージがあります。でも若い頃の彼は貴族の令嬢たちにピアノを教えて楽しくやっていたし、しかもモテたようです。むしろ社交的な人だったとも思えるのです。
やはりその後の耳の疾患が彼を人嫌いにしていったのかもしれませんね。



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