こんにちは、
こめまるです。
僕が中学生の時、多分3年生の頃、10歳年上の叔父が、これ読みな、と一冊の本をくれました。
時は1972年。
叔父がくれた本というのは、五木寛之著『青年は荒野をめざす』というタイトルの本でした。
中学生までの僕は、それほどの本好きの少年ではありませんでした。
小学生の時、父が世界文学全集というのを毎月僕のために取っていたそれを僕の本棚に毎月置いていくのですが、特に読め、と言われた記憶はありません。
僕も本好きな子供ではなかったので、その中のいくつかは読んだのですが、ほとんど読むことはありませんでした。今では父に申し訳なく思っています。
一方、科学の事典みたいなものも取ってくれていて、むしろそちらの方に圧倒的に興味を示しました。
宇宙のこと、恐竜のこと、昆虫のこと、動物、鳥、魚のことなど。
その他、地理にも興味を示す子供で、小学生の時には、当時の世界中の国名と首都を言えるほどでした。
そして中学生になるとそれに音楽が加わって来たのです。
これも小学生の時にテレビでNHK交響楽団を指揮する岩城宏之さん魅せられて好きになりました
五木寛之との出会い
そんな文学や小説に興味のない僕ですから、叔父からもらった五木寛之の本も、中学生時代に読むことはありませんでした。
高校生になり、中学時代の友人との会話で五木寛之って面白いね、という言葉で、そう言えば叔父がくれた本で、五木なんとかとかいう人の本だったなと思い出し、やっと読みだしたのです。
そしてそこからが、急発進!
「青年は荒野をめざす」のあまりのおもしろさに、一気に読んでしまい、その後は五木さんの本を読み漁りました。
当時五木さんは、第1回目の休筆宣言後だったので、それまで出ていた小説を読みまくったのだと思います。本をどうやって手にしたか憶えていませんが、多分学校の図書館、市立図書館などで借りたのだと思います。
僕が通っていたのは、国立の工業高専だったのでりっぱな図書館がありました。
とにかく五木さんの小説に夢中になり、授業中も教科書の内側に五木さん本を置いて読んでいたくらいです。
結局、それが高じて大学に進学したい、という気持ちが強くなり、高専を3年修了と同時に中退し、1年間浪人して、五木さんと同じ早稲田大学に進学しました。
今から思うと、五木さんと同じルートでヨーロッパを旅することだって出来たと思いますが、根が臆病な僕は、大学の先輩とアメリカ、メキシコに1ヵ月ほど旅しただけでした。
その後、会社員として働きだしましたが、意外なところで五木さんと同じソ連時代のモスクワを訪れることが出来ました。
確か、1987年11月のことですが、勤めていた宝飾品会社のダイヤモンド買付のため、吹雪のモスクワに着いたのです。
それから20回弱、仕事でモスクワを訪れました。
五木寛之 プロフィール
ここで五木さんのプロフィールを見てみたい。
1932年9月30日 福岡県八女市にて誕生。
旧姓は松延寛之。
幼少時に教員であった父親の勤務先である、当時日本が統治していた朝鮮に渡った。父の勤務で朝鮮各地に住み、第二次大戦終戦時には、平壌にいた。
しかしソ連軍進駐の混乱の中で母を亡くし、当時12歳だった寛之少年は、幼い弟と妹を連れ38度線を越えて開城に脱出。47年にようやく故郷に引き揚げることができた。
1948年 (旧制)福岡県立八女中学校入学。
この頃からゴーゴリやチェーホフを読み出し、同人誌に参加してユーモア小説など発表していた。
福岡県立福島高等学校に入学してからは、ツルゲーネフ、ドストエフスキーなどを読み、テニス部と新聞部に入って、創作小説や映画評論などを書いていた。
1952年 福岡県立福島高等学校卒業、早稲田大学第一文学部露文科に入学。
五木さんのエッセイでは、この頃父親は闇市のようなことをやっていて、どこからか工面した入学金を渡すのが精一杯だったようだ。そのため、様々なアルバイトや時には売血をして生活していた。
1957年 早稲田大学第一文学部抹籍。
大学には5年ほど在籍したが授業料が支払えず抹籍扱いとなる。
但しのちに収入が得られるようになって未納を学費を収め、中退扱いとなった。
この頃父親を失くす。
大学を去ってからは、業界紙の記者や編集者、放送作家、CMソングの作詞家などを遍歴。
そんな生活を数年続けた後、一旦仕事を精算し、学生時代からの恋人だった玲子夫人と65年に結婚し、横浜からバイカル号に乗ってナホトカ経由でモスクワからレニングラード、北欧を巡る旅に出た。
帰国後、夫人の故郷である金沢に住み小説を書き始める。
そして66年「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞、67年「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞を獲得。一気に流行作家となった。
最初の作品から約6年間は、凄まじいペースで小説を書き続け、そのどれも話題作となり一躍時に人となった。
そんなこともあり、1972年から約2年間休筆
だから僕が五木さんの本に出会ったのはちょうどこの頃で、五木さんの休筆前の作品を読み漁ったことになる。
その後、76年『青春の門 筑豊篇』ほかで吉川英治文学賞、2010年『親鸞』で毎日出版文化賞特別賞。
『風の王国』『生きるヒント』『大河の一滴』『林住期』『孤独のすすめ』『百歳人生を生きるヒント』などベストセラーを多数世に送り出しています。
まとめ
五木寛之氏の作品で出会って約50年。
五木寛之 作品リスト
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五木寛之氏の作品リストを作ってみました。
※小説とエッセイをまとめています。但し完全ではありませんのでご了承ください。
僕はくじけそうになったら『青年は荒野をめざす』の中のこの台詞を思い出す。
主人公のジュンが、日曜日毎にトランペットを吹いていた新宿のジャズ・スポット「ペイパー・ムーン」。
そこにいつもいた大学の教授風のプロフェッサーと呼ばれていたおじさん。
彼はジュンにこんな言葉を掛けていた。
「わしの辞書には、挫折なんて気の利いた言葉はないぞ。あるのは、失敗という単語だけよ。一度失敗すれば、もう一回やりなおす。それが人生というもんじゃろうが」
小説の中では、若いジュンに向けて言った言葉だが、いくつになっても当てはまると思う。
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