こんにちは、
こめまるです。
勢古浩爾著『定年バカ』は、痛快と思う面とうん?と首をかしげたくなり部分もあります。定年後は、それまでの人生より人それぞれの考え方は幅広くなります。
また、勢古さんは、楠木新著の『定年後』を目の敵にされているようですが、僕も『定年後』を読みましたが、正直よくわかりませんでした。
世の中ではベストセラーになったそうです。
でも僕はよくわからなかった、インパクトがなかった、焦点がぼやけているという印象がありました。
当初、自分の読解力に問題があるのかと思って、再度読もうとしたのですが、ちょっと根気が続きませんでした。
社会と「つながり」だがるバカ
結局は僕が読んだ本では、大江英樹氏と逆説的な勢古浩爾氏、それにこれは老後の生き方の提案をする五木寛之氏の本でいいかな、と僕は思います。
さて、勢古氏の『定年バカ』の中で、「社会と「つながり」だがるバカ」という項があります。
これに関して勢古氏は、かなり反発しています。
例えば、出だしからこんな感じです。
「わたしは社会との「つながり」など考えたことがなかった。人との「つながり」も同様である。会社に勤めていたときも、社会と「つながっている」という意識が皆無だった。」
とかなり意固地的な発言です。
なんでそんなに意固地になるんだろう。
会社勤めをしていれば、社会の一人であり、しかも現在文筆業をされていることから、社会と「つながって」いないと思っても事実として社会と繋がっているわけです。
つまり孤立してい訳ではないです。
これは、社会と「つながる」ということの解釈違い以前だと思うのです。
ただ、勢古氏の味方をすれば、この「社会と「つながり」だがるバカ」の項は、楠木新著「定年後」に対する勢古氏の答えかと思います。
僕は社会とつながりたくなるバカ
僕が、勢古氏の『社会と「つながり」たがるバカ』に反応するかと言うと、僕自身が日々そう思いながら生活しているからです。
僕は、現在アルバイト、自営、年金の三本立ての収入です。
現在アルバイトは、収入の大きな柱なので止めるわけには行きません。
しかし、今後年金が増え、自営の収入も増えれば、アルバイトはやめてもいいかもしれません。
ただ、僕は自営で十分な収入が得ることが出来るようになってもアルバイトは続けようと考えています。
なぜか?
社会とつながっていたいからです。
まとめ
『定年後』を書いた楠木新氏は、「何らかの形で社会とつながっていないと、定年退職者の行く末は厳しくなることが予想される。
一方、勢古浩爾氏は『定年バカ』で、
「基本的に「ひとり」だった人間にとっては、「社会とのつながり」などなくてあたりまえである。自分自身や周囲の人間たちと切れたわけではないのだ。それが耐えられないのなら、仕事をつづければいい。もう仕事などごめんだ、と思うなら、それ以外で生きればいい。」
つまり勢古氏は、社会とのつながりなんてない、と考えているのです。
まあ、論点が合わないのは仕方ないですね。
僕は、自分の家族以外の人とも接点をもちたい、つまり「つながって」いたいので働くことを続けます。
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