こんにちわ、
こめまるです。
1966年にザ・ビートルズが来日した時の大騒ぎは、白黒テレビを通してみていて、よく憶えています。
ファンの女性たちが失神するシーンなども映し出されていて、子供ながらにそんな簡単に人は気を失うものかと不思議に思っていたように思います。
一緒に観ていた両親も
「何を騒いんどんがかねぇ」
なんて呆れて観ていたように思います。
当時僕は、小学3年生の9歳。その数年後には、自分自身が、寝ても開けてもビートルズに夢中になっているとは夢にも思っていませんでした。
高校生になって、最初にアルバイトして買ったのが、ザ・ビートルズのLP。
当時のLPレコードは、高価で1枚2,500円位して、1週間の住み込みで1万円のバイト代をもらって、確かほとんどをLPレコードの購入に充てたと思います。
またギターも始めて、ただ当時は、フォームソングも全盛で、弾くのはそちらが多かったかもしれません。
ビートルズのメンバーでは、やはりジョン・レノンが好きでした。
結局、なんでジョンに惹かれたのかというとやはりその歌声とサウンドだったと思います。
Richard McallによるPixabayからの画像
ちょっと斜に構えて、思想家や政治活動家としてのジョンも見ようとしましたが、結局興味を引くこともなく、やはり僕はシンプルにジョンの作る曲と歌声、そして創り出すサウンドが好きなのだということが、わかりました。
ジョン・レノン 命日
ジョン・レノンの命日は、12月8日です。
でも遭難にあったのが、8日の午後11時過ぎだったことで、日本時間は翌9日の午後でした。
1980年12月9日、僕は大学近くの喫茶店でアルバイトしていました。
午後、有線から流れる曲が、ジョンの曲が続けて流れていることに気付きました。
嫌な予感がしました。
3年前にも同じようなことがあったのです。
その時も同じ喫茶店でバイトしていました。
有線から流れ出したエルヴィス・プレスリーの曲。そして下宿に戻って知った訃報。
もしかして!?
結局、同じようにアパートに戻って知ったジョン・レノンの訃報でした。
泣きながら聴いたラジカセから流れるジョンの歌声。
あれから40年。
僕はいまでのジョン・レノンを聴いています。そしてジョンよりも20年以上長く生きています。
最後に
ジョン・レノンは、1940年10月9日、イギリスのリヴァプール生まれ。
ジョンは、午後6時半ころ、リヴァプールの産院で生まれました。当時は、戦時下で、ドイツ軍による空襲が日常茶飯事だったそうです。
ジョンの名前は、ジョン・ウィンストン・レノンで、ミドルネームのウィンストンは、当時のイギリス首相、ウィンストン・チャーチルから取ったそうです。
そして17年後の1957年7月6日にウールトンのセント・ピーターズ教会でポール・マッカトニーと出会ったことが、ビートルズの始まりでした。
今日から3日間は、ジョンの曲を聴きながら偲びたいと思います。
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