ジョン・レノンが教えてくれた

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こんにちは。
こめまるです。

12月8日は、元ザ・ビートルズのメンバーだったジョン・レノンの命日でした。
1980年12月8日の夜11時すぎにファンを自称する男の凶弾に倒れ、帰らぬ人となりました。

日本時間で12月9日午後2時近く。

僕は大学近くの喫茶店でアルバイトしていました。
当時大学4年生。

就職活動は一応行いましたが、採用されることもなく、また真剣に取り組まず、留年することにして時期です。

将来に何になりたいという目標、計画もなく無為な日を送っていました。

そんな時の悲報でした。

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ジョン・レノン 悲報 その時僕は

前記のようにジョン・レノンが不帰の人になった時、僕はちょうど大学近くの喫茶店でアルバイトをしていました。時給370円。

今では考えられない金額ですし、当時としても安い方でしたが、気心がしれたお店だったのと下宿からも近く、ようするに楽なバイトだったので続けていました。

アルバイトしていると店内に掛かっている有線放送が、ジョン・レノンの曲が連続してかかっているのに気付いました。

嫌な予感がしました。

それというのも、3年前の8月、大学1年の時に同じ店でアルバイトしていた時、エルヴィス・プレスリーの曲が、急に有線放送から連続して流れ出した時を思い出したのです。

その時、マスターが、
「プレスリーになにかあったんじゃない?」
というので、
「僕が、心配ですね」
というやり取りをしたのを憶えています。

そして帰宅してプレスリーの悲報を知ったのです。

当時は、ネットも何もない時代。
ニュースは、TVかラジオ、または新聞という時代。
だから瞬時のニュースを知るには、TVの前にいないとわからなかったものです。

結局、僕は下宿に帰って、始めてジョン・レノンのことをラジオで知りました。

その後のことはあまり憶えていません。
ただただ、放心状態で、ラジカセでジョンの曲をずっと聴いていました。

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ジョン・レノン ザ・ビートルズとの出会い

ザ・ビートルズとの出会いは、高校生の時です。
高校1年の時、アルバイトで貯めた1万円でビートルズのLPを3枚買ったのを憶えています。

僕は、まずジョンの声に魅せられました。
まさにロックを歌のには、ぴったりのハスキーボイス。

長髪と丸メガネにも憧れました。

今では考えられませんが、当時は長髪で、高校時代は全く床屋に行かず、妹に切ってもらっていました。

そしてザ・ビートルズそしてジョン・レノンを起点にボブ・ディランやプレスリー、ローリングストーズといったミュージシャンを聴くようになりました。

よく友人たちとビートルズの曲に合わせて歌って録音していたものです。

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まとめ

ジョン・レノンが教えてくれたことってなんだろう。
僕がビートルズをそしてソロとなったジョン・レノンを聴くようになったのは、1974年、75年あたり。

僕の青春時代は、70年代にぴったり収まるのです。

今の停滞ムードとは違う、何か時代が変わっているような雰囲気がありました。

そして大人へとなる階段を上っている感じがありました。

ジョン・レノンとの出会いと別れは、まさに僕の青春時代と重なってたのです。



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