こんばんは、
こめまるです。
今日から巷では三連休ですね。
僕もお休みなのですが、家具の量販店に勤める妻は、この三連休は、大忙しよ、たいへん、と言って出勤して行きました。
さて、今日は小説家・五木寛之氏の本について書きたいと思います。
五木寛之氏の余命を読みました
五木氏は現在85才。
同世代の野坂昭如氏、大橋巨泉氏、永六輔氏が逝った現在、ご健在のことで嬉しい限りです。
長生きして、日本の行く末を少しでも長く見て頂きたいと願うばかりです。また私の父が五木氏より1歳年下なので、自分の父親的な存在でもあります。
さて、五木氏の本は、デビュー作「さらばモスクワ愚連隊」始め、多く読んできました。
しかし「生きるヒント」以降は、エッセイが主になり、正直、「五木さんも老けたな。」という印象を持っていました。
でも、僕も昨年60才になり、五木氏の本を「孤独のすすめ」「余命」と続けて読んでみました。
深い感銘を受けたのはいうまでもありませんが、実はよくわからないという本音もあります。
そこで、この2冊は現在再読中なのです。
五木氏の考え方はこんなことだと思うのです。
諦めることから始めるということです。
諦めるの本来の意味は、途中で投げ出すとか止めるという意味ではなく、物事の本質を直視して明らかにする、という意味なのです。
だから、余命という本でも、自分の逝く時期をイメージしてそれに備えておけば、それまで豊かに生きられるという考えだと僕は受け取りました。
諦めることと終活とのニュアンスの違い
2010年代から使われるようになった終活という言葉にも、五木氏の考えが重なる部分があります。
それはいいのですが、終活という言葉を嫌う人は、それを商売のネタにしようとして胡散臭いと感じるからだと思います。
僕自身も入棺体験とか死に装束ファッションショーなどやりすぎと思いますが、ビジネスですから、提供する方も需要がなければ仕掛けません。
嫌ならそんなイベントなどに出かけなければ住むことです。
真面目に誠実に終活に関して提供している企業もあると思います。
五木氏の「余命」にも終活という言葉が出てきます。
日本にも生き方ではなく、逝き方を考える時代が来たかと驚かれています。
孤独のすすめ 人生後半の生き方 (中公新書ラクレ) [ 五木寛之 ]
余命 これからの時間をいかに豊かに生きるか [ 五木寛之 ]
△ △ △
※本にご興味があればこちらからどうぞ
まとめ
五木氏の本は、もっと読み込まないとその本質がとらえがたいです。
平易な文章で書いてあるのでさらっと読めてしまい、肝心なことがわからないままで一読して終わりのような感じになります。
でも「孤独のすすめ」「余命」の二冊は深いです。
僕は、二度、三度読んでもっと五木氏のメッセージを深く捕えたいですね。またこのブログでも今後報告して行きますね。
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