母の葬儀で知ったこみ上げる悲しみとは。薄情者のブルースが聴こえる

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こんばんは、ともやんです。

 

母が亡くなり、一連のあの世へのおくりの儀式も終わり、
いつもの日常に戻ったのですが、どうもしっくりこないのです。

 

なんでかって、悲しみがこみ上げてこんですよ。

 

僕は、通夜の晩は、母と同じ部屋に泊まって、
夜中に話しかけ来ないかな?とオカルト的なことも

期待したりしてましたが、

 

もちろんそのようなことはなく、

 

もしかして最後、火葬場で骨を拾う時にぐっと来るのでは
と思っていたのですが、

 

それもなく、もしかして自分は、

薄情者かなと思わずにはいられんですね。



薄情者になった理由(わけ)

なんでこんな薄情者になり下がったかと
自分を振り返ってみると、

 

やはり20才で家を出てから、40年間、
母と同居していないことが一番大きいかもしれない。

 

もちろん、その40年間に何度も帰省しているけど、
どうも母と過ごした思い出は希薄なんだよね。

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やはり、母との思い出は20才までがほとんどかな。

 

悲しみよこんにちは

母が亡くなった、だから悲しもう、

そして悲しまないのは薄情だ、

 

と決めつけるのがいけないのかもしれない。

 

母のことは忘れたことはないし、

 

これから思い出を手繰っていくとどこかで、

悲しみがこみ上げてくるのかもしれない。

 

悲しみの方から、こんにちはってやってくるのかもしれない。

 

そんな時がきたら我も忘れて泣いてやる。




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