こんにちは、
昭和32年生まれの前期高齢者になったこめまるです。
今回は、今も心に残る、
中学卒業の寄せ書きの言葉から思いを馳せた記事を書きました。
人生が二度あれば──定年後に思い出した寄せ書き
あれは、もう50年近く前のことです。
中学校の卒業式で、クラスの寄せ書きが回ってきました。
みんなそれぞれに「楽しかった思い出」「先生への感謝」「未来への夢」などを書いていた中、ある女子生徒が記した言葉が今でも心に残っています。
人生が二度あれば
なぜ彼女がそんな言葉を書いたのか、当時の僕には分かりませんでした。
そして今も、その真意は分かりません。
でも、その一言が、ずっと心のどこかに引っかかっていたのです。
フォークソングと「人生が二度あれば」
僕は1957年生まれなので、70年代がまさに青春でした。
1970年が中学1年生。
1980年が大学4年生でしたから、まさに70年代が青春時代だったのです。
だから高校時代、ギターとともに過ごしましたね
まさにその頃の僕は、フォークソング・ブームの真っただ中にいたのです。
ギターを手に取り、岡林信康、吉田拓郎、かぐや姫、井上陽水などをよく歌ったものです。
井上陽水の一曲に触れて
その中に、井上陽水さんの「人生が二度あれば」という曲がありました。
1972年(昭和47年)にリリースされたこの曲には、陽水さん自身の父親を想う気持ちが込められています。
陽水ライヴ もどり道<限定盤>タワーレコード・オンラインショップより
確か、ライブアルバム『もどり道』の冒頭には、父親について語る録音も収められていた記憶があります。
「人生が二度あればなぁ」
お茶をすする父の姿に老いの寂しさを感じながら、陽水さんはそうつぶやきました。
平均寿命と時代背景
当時、男性の平均寿命はおよそ69歳。
65歳の父を見つめながら、彼は残された数年を思い、やり残しや悔いについて考えたのかもしれません。
平均寿命が延びた今、僕たちはどう生きる?
それから45年余り。
今や日本人男性の平均寿命は81歳を超えました。
だから、いまや「60代=シニア」ではないのです。
70年代の60代男性が「あと10年か」と肩を落としていた時代とは違い、
今の60代は「これからが本番」と言われるほど活発です。
寿命が延びたことの意味
ただし、寿命が延びたことは「やり直しの時間が増えた」と同時に、
「老後の人生をどう生きるか?」という問いも突きつけられる時代でもあります。
- 楽観的にとらえれば、「もう一度夢を追える」
- 悲観的にとらえれば、「疲れる人生が長くなった」
でも、せっかくなら—楽しんだほうがいい。
中学時代の夢を、今ブログで叶えている
少年時代の夢
僕には中学生の頃から夢がありました。
それは、「クラシック音楽の評論家」になることです。
たくさんのレコードを聴いて良い演奏を紹介したり、
ヨーロッパの音楽の街を旅して、紀行文を書くようなことがしたかったのです。
叶わなかった夢、そして今
現実には、そんな道が簡単に開けるわけではありませんでした。
でも今は、インターネットという舞台があり、ブログというツールがあり、
自分の言葉で発信し、読んでくれる人が世界中にいる時代になりました。
誰でも、夢の続きを書ける時代。
描きかけの物語の続きを、今からでも紡ぐことができるのです。
「人生が二度あれば」は、今、叶うかもしれない
あの卒業式の寄せ書きにあった「人生が二度あれば」という言葉。
井上陽水の歌に登場する父親の背中。
それはきっと、もう一度やり直したいという切ない願いだったのでしょう。
でも今の僕たちは、長寿社会の中で、
もう一度やりたかったことに挑戦できる時間を手に入れています。
- 絵が好きだった人は、SNSで作品を発信できる
- 旅行が好きだった人は、写真と文章で旅を共有できる
- そして音楽が好きな僕は、ブログで語り続けられる
定年後は、過去を悔やむ時間ではなく、
夢の続きを生きる時間にしてみませんか?


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