片岡義男とザ・ビートルズ

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こんにちは、
こめまるです。

今日は、ザ・ビートルズのメンバーだった、ポール・マッカトニーの誕生日。
1942年6月18日イギリスのリヴァプールに生まれ。

10代でジョン・レノン、ジョージ・ハリスンと出会いバンド活動を始めたポール。
のちにリンゴ・スターを加え4人でザ・ビートルズを結成。その後の活躍はご存じの通り。

さて、ポールも80歳。
ビートルズのレコードデビューが1962年で来日公演が1966年6月ですから、デビューから60年、来日公演から56年。

当時僕は小学3年生で、テレビで若者たちが大騒ぎしている光景を見ていた。
特に若い女性たちが金切り声をあげている映像は異様で、不思議な気持ちで見たいことを憶えている。
しかもその時は、数年後には自分も夢中になっているなんて思ってもいなかった。

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片岡義男とザ・ビートルズ

さて、片岡義男という作家がいる。
現在82歳でまだ活動はされているようだ。

僕が大学生時代の1980年前後、角川映画とコラボして「彼のオートバイ、彼女の島」「スローなブギにしてくれ」それから薬師丸ひろ子が主演をやった「メイン・テーマ」などで有名だった人だ。

僕もオートバイに乗っていたので、何冊か読んだ記憶があったが、「スローなブギにしてくれ」の中で、走る車から子猫を放り投げるシーンがあり、しかもその子猫の状況がリアルに描かれていて非常に嫌悪感を感じ、そのシーンが頭にこびりついてその後読む気がなくなってしまった。

さて、なんでポール・マッカトニーの誕生日に片岡義男が登場するのか?
今読んでいる片岡氏の「コーヒーにドーナッツ盤、黒いニットのタイ」の中にビートルズが登場するのだ。

実は、片岡氏の本は40年間読まなかったが、あることがきっかけで再び読みだした。

1966年6月29日、東京ヒルトンでビートルズの来日記者会見があった。
当時片岡氏は26歳、既にフリーの作家で、いろんな雑誌からの依頼で原稿を書いて生活していた。
ちょうどその日、漫画週刊誌からの締め切りで、その雑誌社がある神保町の喫茶店で原稿を書いて渡すことにしていた。
ところが、当日の朝「平凡パンチ」の編集者からビートルズの記者会見に行かないかと誘われた。

片岡氏は、先約があるからと断った。
漫画週刊誌の原稿を書き、編集者に渡し、世田谷代田の自宅に戻ると「平凡パンチ」の編集者から電話があった。

記者会見の模様を伝えてきたのだ。詰めかけた記者連中が堅物ばかりでビートルズのジョークやユーモアが理解できなくて、変な会見だったと伝えてきた。
もちろん通訳も付いたが、その訳もかしこまったものだったようだ。

そして「平凡パンチ」の編集者は、やはり君に同席して欲しかった、君なら理解できただろうから、と今後テープを送ると、で終わっている。

片岡氏は、1940年生まれなのでビートルズと同世代でジョン・レノンとは同い年。
興味がないはずはなかったと思うが、先約を優先する彼のポリシー、そして英語に堪能で、ユーモアのセンスもある、ということがわかる。

なんだよ、たんに自慢話かい!

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