黒澤明 生きる 観た

[広告] 当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。

こんにちは、
こめまるです。

黒澤明監督の傑作『生きる』を動画配信サービスU-NEXTで観ました。
30代の頃一度観て、約30年ぶりに観ました。

映画や音楽、そして小説でも若い頃に接した時とは違って年を重ねたことで違う印象を受けることあります。

映画『生きる』もそういう作品です。

スポンサーリンク

黒澤明 生きる オープニング

映画『生きる』のオープニングは、次のように始まります。

胃袋のレントゲン写真が映し出される。
そしてナレーション

これはこの物語の主人公の胃袋である。

噴門部に胃がんの兆候が見える。
本人はまだそれを知らない。

ここでこの物語の主人公、市役所市民課の課長渡辺氏(志村喬)のアップ。
渡辺氏は、一心に書類にハンコを押している。

そして再びナレーション

これがこの物語の主人公である。
しかし、今この男について語ることは退屈なだけだ。
なぜなら彼は時間を潰しているだけだからだ。

若い女性の職員が急に笑い出す。
それを係長が咎める。

職員は、回ってきたメモが面白すぎてつい笑ってしまったと答える。

係長は、読んでみろといい、女性職員が読みだす。

内容は、
A「君休暇を取らないんだってね。」
B「うん」
A「君がいないと困るってことか?」
B「いや、僕がいなくても困らないことがわかって困るんだ」

再び市民課長のアップ。時々懐中時計を取り出し時間を気にしている。別に用事があるわけではない。単に終業時間を気にしているだけ。

だめだこれでは話にならない。
これでは死骸も同然だ。

いや実際この男は20年も前から死んでしまったのである。
それ以前には少しは生きている。少しは仕事をしようとしたこともある。
しかしいまやその意欲や情熱も少しもない。

そんなものは役所の煩雑極まる機構とそれは生み出す無意味な忙しさの中でまったくすり減らしてしまったのである。

忙しい、まったく忙しい。
しかし、この男は本当は何もしていない。
この椅子を守ること以外のこと、この世界では地位を守ることには何もしないことが一番いいのである。

しかし、いったいこれでいいのか。
いったい、これでいいのか!

この男が本気でそう感が出すには、この男の胃がもっと悪くなり、もっと無駄な時間が積み上げられる必要がある。

そして次は、病院のシーン。
診察結果を聞く前の待合室で、渡辺氏にある男が話しかける。

「軽い胃潰瘍ですね、と言われたらまず胃がんですな」

という感じです。

当時は、胃がんと言えば、もう最期を通達されたようなもので、しかも告知はしないということだったようです。

だから、診断結果を医師から告げられ、

「軽い胃潰瘍ですね」

と言われた時、渡辺氏は

「本当のことをいて言ってください!」
と詰め寄るシーンもあります。

ここから、絶望した渡辺氏が自暴自棄になり、数日間もの間、30年間無欠勤だった役所を無断欠勤するのです。

スポンサーリンク

しかし、ここから物語が動きます。

余命僅かと分かった時から、渡辺氏は、ある思いに駆られ、行動を起こすのでした。

ぜひ、この映画を観てほしいです。

スポンサーリンク

黒澤明 生きる 動画

黒澤明の『生きる』を観るならU-NEXTがおすすめです。

現在、見放題で観られますし、登録されていない方でも31日間無料トライアルがあるのですぐ観られますよ。

『生きる』(1952年)

『生きる』(1952年)

ところで、U-NEXTのこの映画の見どころとして次のコメントが記されています。

見どころ
癌に冒され余命いくばくもない老人を主人公にした黒澤映画の傑作。真面目一徹の公務員を演じた志村喬の迫真の演技が見どころ。ベルリン映画祭銀熊賞受賞。

老人???
ちなみに志村喬演じる市役所市民課課長の渡辺氏は、勤続30年無欠勤と映画の中で紹介されています。

この勤続30年というのが、新人からどうかわかりませんが、息子が退職金の話もしているので、もうすぐ定年と思われます。

当時の定年は、せいぜい55才ですから、渡辺氏は54才前後と思われます。

ちなみに漫画サザエさんが、舞台を東京に移り朝日新聞で連載が開始されたのが1951年(昭和26年)のことです。
その時のサザエさんの父親波平さんは、定年前の54才のサラリーマンとして描かれています。

1950年前半は、65才以上の高齢者は、全人口に占める割合は5%前後です。昨年2019年が28.4%ですから、50代はすでに老人として認識される時代だったのです。

スポンサーリンク

最後に

主人公は、余命あと数ヵ月と知った時に、考えと行動が変わりました。

オープニングのナレーションで語られる死んだも同然に人間が、まさに生きたのです。

いや、主人公自身が能動的に動いたので、やはり“生きる”だったのです。

ここで、『生きる』というタイトルがはっきりわかりました。

そして物語に中で、渡辺氏は、「ゴンドラの唄」を口ずさむのです。

“いのち短し恋せよ乙女”

ついそこに意識が行ってしまいますが、その後に続く歌詞が重要なのです。

熱き血潮の冷えぬ間に 明日の月日のないものを

つまり渡辺氏は、この歌詞を口ずさむことで自分自身に言い聞かせたいたのです。

エンディング近く、市役所の同僚たちが、渡辺氏の家に集まって酒を飲みながらあーどこーだとやり取りしあう様が、もう一つのテーマを考えさせる名シーンだと思います。



スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました