忠犬ハチ公 秋田犬 人気だけではない語り継がれる精神

こんばんは、ともやんです。

平昌オリンピックの女子フィギュアスケートで金メダルを取ったロシアのアリーナ・ザトキワさんが、ご褒美に秋田犬を希望しているというニュースで、改めて脚光を浴びている秋田犬。

あるTV番組では、海外で秋田犬の人気が上がってきて、引き合いが増えているそうです。

個人的には、ペットなどの生き物に対する一時的とも思える人気は良しとしない気持ちです。

一時、人気上昇でよく見掛けたシベリアンハスキーなどは、最近ほとんどと言ってみないですが、みんなちゃんと寿命を全うしたのでしょうか?

そして現在猫を3匹飼っている者としては、現在の猫人気も少々心配です。
流行に乗って、気軽に飼って欲しくないからです。

最期までちゃんと面倒をみてください。そのペットの一生をしょい込む覚悟のない人は飼って欲しくないな。

そんな愚痴も言いたくなる昨今の秋田犬人気ですが、秋田犬と言えば、忠犬ハチ公。
こちらは語り継ぎたい忠犬ハチ公の精神について記したいと思います。



忠犬ハチ公 ある秋田犬の物語

忠犬ハチ公は、1923年(大正12年)、秋田県大館市で生まれました。
翌年ハチ公は、東京帝国大学農学部教授の上野英三郎博士に飼われ、可愛がられました。

上野博士は、1872年(明治4年)の生まれで、農業土木学者として、日本の農業土木、農業農村工学の創始者として知られています。

1924年(大正13年)にハチ公は、上野博士に引き取られ、そこから今でも語り継がれる物語が始まったのです。

ハチ公は、上野博士を心から慕い、毎日朝夕、上野博士の送り迎えをしていました。

ところが、1925年5月21日に上野博士は、大学で急逝したのです。享年53才。早すぎる死と言えます。

しかし、ハチ公は、上野博士が大学で急逝した後も、約7年間、駅に通い続け、上野博士の帰りをずっと待ち続けました。

そんなハチ公の姿が、亡くなった主人を待つ忠実な犬として新聞に掲載され、”忠犬ハチ公”として人々に愛されるようになったのです。

そして1934年(昭和9年)、ハチ公の精神に共感した多くの人々の思いから、この物語を忘れまいと渋谷駅前に忠犬ハチ公像が設置されたのでした。

除幕式には、当時11歳のハチ公自身も参加しました。ハチ公は翌1935年(昭和10年)3月8日のその生涯を閉じました。

※待つ犬

忠犬ハチ公 海外での人気

ハチ公の物語は、海外でも有名です。

2009年にアメリカの俳優リチャード・ギア氏の主演で、ハリウッド版映画「HACHI約束の犬」として公開され、ハチ公の存在が海外でも広く知られるようになりました。

アメリカ・ニュージャージー州にあるペット霊園にも、ハチ公の没後80年を記念して、東京大学農学部で除幕された銅像と同じ姿の銅像が設置されました。

また映画がきっかけとりなり、アメリカ・ロードアイランド州のウーンソケット市にも忠犬ハチ公像が誕生しました。

ここには、映画の中でハチ公が亡くなった主人を待つ架空の駅「ベッドリッジ駅」の旧駅舎があり、地元の美術高校の生徒たちの発案で、この物語の感動が広く伝わるようにいう願いを込めて、学校から市に寄贈されたものです。

渋谷で有名になったハチ公は世界中で知られるようになったのです。



忠犬ハチ公 渋谷のシンボルとして

ハチ公の銅像は、第二次世界大戦中の物資不足から、素材の銅を転用する目的で一度なくなってしまいました。しかし、戦後に再建を願う声が高まり、1948年(昭和23年)に、初代忠犬ハチ公像を造られた彫刻家の安藤照氏のご子息の安藤士氏によって、現在の二代目の銅像がつくられました。

ハチ公は、渋谷のシンボルです。そして生きていく上で、大切にしなければならない心根のシンボルでもあります。

その精神が継がれているのか、ハチ公前広場が昔に比べとてもきれいになってきました。

まとめ

上野博士は、秋田犬を飼うのが念願だったようです。
1924年、博士に引き取られた秋田犬は、ハチと名づけられ毎日送り迎えをする日々を送っていました。

でもそんな生活も翌年25年5月に博士の急逝を終わりを告げたのです。
それから10年近くハチは、帰らぬ上野博士を待ち続けたのです。

理屈抜きで、胸が締め付けられる思いですね。




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