定年後 同じ仕事をしても疲れることがわかった 奴隷からの脱出

おはようございます。

昨日の土曜日は仕事でした。

銀座の某レストランで高額の美術品の販売会でした。

お客様は、大手百貨店の外商顧客で、
それなりにお金持ちで、でもご高齢な方が多いです。

レストランの一部で、美術品の展示をして、
お客様が気に入った品物があれば
レストランのテーブルに誘導して、商談を行い、
そのあと食事を楽しんでいただくと趣向です。

お客様が、来場されるということは、購入するのが前提で、
気に入るものを探しに来るわけです。

何十万円か、何百万円か自由にできる人たちばかりで、
何にお金を使うか、外商員は、美術品にお金を使ってもらうために
日々、お付き合いしているわけです。




定年後 立ちっぱなしの仕事は辛い

僕の仕事は、販売ではなく、
運営面でお客様をスムーズに食事会場に誘導したり、
食事キャンセルや変更に対応したり、
営業のサポート的な仕事です。

だから、終日立ちっぱなしなんですが、
以前、50代中旬までは、
特に疲れることはありませんでした。

もっというとどんな仕事をしても
特に疲れるということはなかったですね。

※画像はイメージです。

定年後 休日出勤、残業はできなくなった

今世の中は、働き方改革が叫ばれていますが、
内容は、いろいろ問題はあります。

また基本的に考えて、誰のための改革かとも思います。

さて、僕の若いころは、
残業、休日出勤が当たり前で、
上司から飲み会を誘われたら着いていくのが当たり前でした。

自分の時間なんてなかったですね。

そんなことが、50代半ば、つまり5~6年前まで続いたのですから、
良く死なずに生きてこれたと思います。

ところが、特に定年後、残業も休日出勤もしなくなってみると、
いままで仕事というなの奴隷のような世界から抜け出たことを実感します。



定年後 現役時代どうして残業したか、休日出勤したか

つまり、日大のアメフト部にみるパワハラ、そして多くの組織で見られる
悪しき上下関係、これは日本だけのことではないと思います。

つまりだから革命があったわけで、
でも革命が成功した後も、権力をもつと
それを変な方向に使ったり、支配される側は、
それを行使されるのが当たり前と感じるのだろうか。

つまり現役時代、仕事が終わらず、自ら残業、休日出勤したのが、
支配される論理、雇われる側の論理、つまり悪いえば奴隷としての精神が染みついていたのだろうと思います。

支配する側、雇う側は、仕事が終わっていないのに、
雇われる側の義務としての休日を取って、時間外は働かないを行使すると、
責任感がないなど、人のプライドに訴えたりして、
なじるわけです。



雇う側がしなければならないこと

もし従業員が、残業したり休日出勤したりしないとこなせない仕事がある場合は、
人を補充したりしなければならいわけです。

でも余分な経費が掛かるので、
いまいる従業員を叱咤してがんばれ!となるわけです。

特に低額な役職手当などもらっていると
休日手当も残業手当も付けられないので悲惨なものです。

従業員とスタンスとしては、
残業や休日出勤をしない。
それで会社が責めれば

「残業、休日出勤しないとできない」

というしなかない。

プライドも責任感も捨てるしかないですね。

まとめ

でも従業員として自分を主張するのが大変です。

パワーが必要です。

自分が現役だったことは、

仕事が多かったことは、休日出勤や残業すればよいか、
という考えで仕事をしていました。

多分、世のサラリーマンには多かった、いやいまの多いのかもしれません。

だから、定年後は、義務感も責任感も捨てて
契約内容に対して、何も足さない、何も引かないという
スタンスで仕事をしましょう。




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