こんにちは。
こめまるです。
僕は、定年後の生き方は、今際の際に惜しむことを考えると自ずと生き方の方法が見えてくると思っています。
僕自身、37年間働いてきた会社に65歳まで残った場合、起業を本格的にやることが遅れることを惜しむだろうと考えたので、生きている間に少しでも早く退職したいと考え、61歳で辞めました。
もし、定年後の生き方に迷いがある人は、今際の際に何を思うか想像してみると答えが見つかるかもしれません。
定年後 生き方 最期に思う5つの後悔
他人をバカにしたがる男たち (日経プレミアシリーズ) [ 河合 薫 ]」はなかなか面白い本です。
その本の中で、「死を目前にした人が挙げる5つの後悔」という項目があります。
ここには、オーストラリアのブロニー・ウェアさんの著述を参照して論旨を展開されています。
ブロニー・ウェアさんは、人生最後の時を過ごす患者たちの緩和ケアに数年携わり、たくさんの人を看取った方です。
その時、死を間近に控えた人々が口にした後悔の中で多かった5つの事柄を挙げています。
以下、転記いたします。
1、他人が自分に期待する人生ではなく、自分自身に正直な人生を生きる勇気があればよかった
2、あれほど働かなければよかった
3、自分の気持ちを素直に表現するだけの勇気があればよかった
4、もっと友だちづきあいをしておくべきだった
5、もっと幸せな人生を送ればよかった
5が、かなり抽象的でなにがその人にとって幸せなのかわかりませんが、1から4は、僕も共感します。
定年後 生き方 幸福とは選択の問題
ブロニー・ウェアさんは、結論として最期の時まで人々は、「幸福とは選択の問題だった」と気づかなかったと指摘しています。
僕は、人生は選択だと考えていて、現在の僕は、その選択の結果と思っています。
しかしその選択に対して、大いに後悔している事も当然あります。
その選択の失敗が教訓になっていると思います。
しかし、多くの人たちは、ウェアさんは、古いパターンと習慣にとらわれ、慣れ親しんだことに安住し、変化を恐れるがゆえに「満ち足りている」と自らを偽るというのです。
最後に
河合薫さんのコメントが秀逸と僕は感じました。
以下、引用します。
“限られた生活世界で自由を探し出すしなやかさこそが、「自分で自由に決めることが出来る権利がある」という感覚をもたらし、その自由を放棄したときに、「なんとか勝ち組の下っ端でもいいから、ぶらさがっていたい」などという不毛な感情に固執するのではないでしょうか”
定年後の生き方は、自分で自由を決める権利を増やしていくことがいいのではないかと僕は思います。
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