こんにちは、こめまるです。
一昨日、故郷富山に住む妹からメールが来ました。
妹も今年3月で60歳になりました。
60歳過ぎの兄弟の間で、連絡が来るということは、楽しい話題よりも親戚の誰々が亡くなったという悲しい知らせの方が多いです。
内容は、やはり訃報で、母の二番目の弟が亡くなったというものでした。
一昨年の秋、母の葬儀の時会った時は、そのやせ細った姿に驚きましたが、がんだったそうです。
享年76歳。
僕と14歳違い。
叔父には、幼い頃よく遊んでもらいました。
別れとはなにか?
人生は、出会いと別れです。
出会いがあるから別れがあります。
出会いは偶然ですが、別れは必然です。
僕は、出会いはロマンだと思っています。
仏教的に言うと縁というのでしょうか?
減少傾向にあるとはいえ、1億人いる日本で、その首都東京周辺だけでも3千万人近く住んでいます。
その中で出会って、一緒に仕事をしたり、一緒に趣味を楽しんだり、一緒に人生を歩むなどと言うことは自分の力の及ばない偶然いうか縁としか思えません。
袖振り合うも多生の縁
袖振り合うも多生の縁という言葉があります。
人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならないという仏教的な教えに基づく言葉です。
「多生」とは、六道を輪廻して何度も生まれ変わるという意味。
「多生の縁」は、前世で結ばれた因縁のこと。
だそうです。
出会いは偶然と書きましたが、仏教的には縁だということです。
僕の24歳の娘が、就職先を決める時に、これも縁だから〇〇社にする、と言っていたのを聞いて、若者も縁というものを感じているんだな、と思いました。
最後に
叔父の死は、悲しいことだけど、誰にでもいつか訪れることです。
僕が成人してからは、ほとんど会うことはありませんでしたが、幼い頃遊んでもらった記憶は、僕が死ぬまで消えることはありません。
叔父は僕の記憶の中で生きています。
今日は、日帰りで富山に帰って、叔父の葬儀に出席してきます。
コメント