おじさんは荒野をめざす

60才 僕の年代は常に次の世代の先端になっているかもしれない

僕は、1957年(昭和32年)生まれです。
その年の出生数は、1,567千人です。

この人数は、1947年(昭和22年)の2,679千人から、
1980年(昭和55年)の1,577千人まで、

1966年(昭和41年)の丙午以外では、
もっとも出生数が少なかった年でした。

これは実感として感じていて、
僕より7才から10才上の、団塊の世代は、
1.5倍から1.7倍の人数がいて、学生運動や文化活動でも
すごいパワーとエネルギーがあったと実感していました。

そして自分の世代をみるとなんかのんびりしていた雰囲気があったのは、
単に僕の性格に加え、競争が少ない年代だったことも影響していたかもしれません。

ただ、この出生数の少なさが、いくつかのポイントで
影響を感じました。




60才 僕の世代に感じる時代の流れ

僕が就職する1980年代前半、
あまり就職状況は良くなかったように思います。

大学4年の時就職しようと多少活動しましたが、
うまくいかず、就職浪人して留年、
翌年現在の会社と縁があり、気が付けば定年までいました。

僕が社会人として過ごした36年間に働く人たちの環境は大きく変わり、
なんといっても終身雇用と年功序列の崩壊だと思います。

それに成果主義も加わり、結局36年間、身を粉にして働いた印象です。



60才 就職したときは年功序列、途中から成果主義

僕が就職活動をしていた1980年前半、具体的には、1980年、81年は、
どこの会社案内にも、年齢とともに年収が上がるとと
グラフなどで表示されていました。

また新入社員の時に入った生命保険では、
掛け金が若いころ低くて、ある程度の年齢から
掛け金が上がるという仕組みでした。

当時は、それが普通だったので、あまり深くは考えませんでしたね。

僕より5年遅く就職した妻は、大手自動車メーカーに就職したのですが、
新入社員のころ、何もしないおじさん社員がたくさんいたそうです。

つまり年功序列の末期をその目に見たわけですね。

一方、僕の就職した会社は、中小企業で、これから会社を大きくしていこうというところだったので40代以上の社員が、極端に少ない平均年齢の若い会社でしたので、
そういう悪しき実感はありませんでした。



まとめ

僕の時代は、常の次の盛大の先端を行っているのように個人的には感じています。

多分、今後定年制度、雇用制度、もちろん年金制度も含めて
大きく変わっていくと思います。

結局つまるところ誰かが助けてくれるわけではなく、
個人で考え、個人で行動しなければならない時代がやってきたのです。

実は、これまでもそうだったのですが、
なんか、大勢の人間の流れに流されていたように感じます。

これからは個人です。
このブログで引き続き考えていきたいと思います。




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