定年後 人生が二度あれば、いや一度でも長すぎる!?

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おはようございます!

中学卒業の時に、
クラスで各生徒が、一言ずつ寄せ書きをしました。
その寄せ書きは、どうしたんだろうとふと思いますが、
多分、担任の先生に私のかも知れない。

担任の先生も10年ほど前に、風の便りで亡くなったと聞きました。

僕らより二廻りくらい年上だったと思うので、
70代半ばだったのでしょうか?

高校3年の時の同窓会でお会いした以来ですから、
もう40年以上前にお会いしたのが最後でした。

柔道部の顧問で、剣道も有段者でした。

お互い竹刀を構えて立ち会ったときの鋭い眼差しは
今でもよく憶えています。

中学卒業の寄せ書きに、人生が二度あれば

中学の卒業時ですから、15歳。
人生なんてこれから、夢や希望に溢れていた時代、
と今なら考えるかもしれませんが、

当時は、そんな感じではなかったですね。
大人はそう思うだけで、15歳の思春期の少年少女の
心の中では微妙だったと思います。

さて、その寄せ書きの中で、
ひと際異彩を放っていた寄せ書きがありました。

「人生が二度あれば」

書いたのは、女生徒でした。

これから数年後、僕は彼女と僅かな期間付き合うことになりますが、
僕は、その寄せ書きを見た、衝撃は、いまでも忘れません。

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井上陽水の曲だった、人生が二度あれば

僕は高校生になりました。

そしてギターを始めました。
当時は、フォームブームだったのです。

吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫といったスターが出てきて、
僕は、彼らの歌をギターを弾きながら歌ったものです。

その中に井上陽水の曲に

「人生が二度あれば」

という曲があるのを知りました。

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井上陽水が、自分の両親を見たイメージを歌にしたものです。

人生が二度あればは、1972年3月1日に最初のシングルとして
発表した作品です。

当時の平均寿命は70歳前後。
歌では父が64歳、母が65歳の設定ですから、
もう老後と言ってよい年齢だったと思います。

平均寿命が70歳前後の時代に、
あと数年でとなった時、人はどう思うのですか?

当時60代半ばの人だったら、
明治後期から大正生まれ、
第二次大戦時から敗戦後は、30代から40代の働き盛りで、
それこそ復興に向けて身を粉にして働かれたことでしょう。

だから、「人生が二度あれば」というメッセージは
非常に重かったと思います。



人生が二度あればから40年余年

井上陽水が、人生が二度あればを発表してから
45年が経ちました。

時代は進み、現在では、男性の平均寿命も80歳を超える時代になりました。

しかも、人生100年時代、なんて言われる時代になったのです。

僕が子供の頃までは、まだ人生50年という言葉が生きていました。

50歳を超えれば、もう老人の仲間入りで、
余生と言うイメージでした。

漫画「サザエさん」の父親、波平さんの設定年齢が54歳なんですからね。
いまだと70代がちょうどいいという感じです。

さて、これからは、人生が二度あればという前に、
この一度の人生をどう過ごすか、ということが大きな課題になりました。



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