8時間労働のはじまり いつどこで誰が始めたんだろうか?

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いま就職するにあたって、

8時間労働というのは大前提で、

企業側からこれより長く働いてください、

というと、まず人は集まらないでしょう。

 

またブラック企業と言われる会社は、

ほとんどが、長時間労働を強いているようで、

8時間と言うと1日の1/3で、

仕事8時間、睡眠8時間、その他食事やなんやらで8時間というのは、

一番人間らしく生きていける時間かもしれません。

今日は、この8時間労働について考えてみたいと思います。




8時間労働のはじまり その前はどうだったの?

かつてマルクスが書いていたように、

19世紀の半ばまで、

労働時間はかなり

いいかげんだったようです。

 

1880年代になっても、ふつうの労働者は、

おおむね1日10時間、そして毎週6日間働いていました。

ニューヨークの製パン業などの場合は、

毎週の労働時間が120時間と

厳しいものというよりも

あり得ないようなものだったそうです。

 

そんな状況でしたら、

労働時間を短縮しようという

動きが出てくるのも当然な話でした。

※画像はイメージです。

ちなみにその100年後、

僕が就職した頃は、

まだまだ週休2日の会社は少なく、

僕が就職した会社は、

日曜日だけが休みで

しかも残業も普通にあったので、

1週間に少なくても60時間は働いていました。

 

ちなみに現在は、

約40~45時間と言うところで、

つまり80年代は、

いまの1.5倍の時間働いていたわけです。



8時間労働のはじまり アメリカとカナダから

1884年、

アメリカとカナダの労働組合連合は、

2年後の1886年5月1日を目標に

1日の労働時間を8時間と

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定めることを決めました。

 

しかし、当時の労働組合は力も弱く、

決議はしたもののそれを強く推し進める力が

ありませんでした。

 

しかし、シカゴの労働者たちだけは別で、

目標の5月1日に向かって、

戦闘的な情報宣伝活動を繰り広げたのでした。

 

そして5月1日の前日、

つまり4月30日には、

製鉄、ガス、鉄道などの労働者たちが

ストライキに入り、

5月1日には約三万人ものデモ行進が行われました。

 

翌5月2日は日曜日だったので、

別段大きな動きはありませんでしたが、

5月3日には、

ストライキがシカゴ全域に広がったのでした。



8時間労働のはじまり それは命を賭けた闘いだった

労働運動の指導者A・スパイズという人で、

そのほか何人もの活動家たちが、

シカゴのヘイ・マーケット広場に

集まった労働者に向かって演説を始めました。

 

警官隊がそれを取り巻くという形でした。

 

ところが突然、誰かが警官隊にダイナマイトを投げ込んだのでした。

 

警官7名が死亡、70人が重軽傷を負ったのでした。

警官側も発泡して応戦しました。



まとめ

労働者側の責任者と目された

A・パースンズと3人の無政府主義者たちが逮捕され、

死刑の判決を受け、絞首台の露と消えたのでした。

 

8時間労働制はこのへい・マーケット事件を

契機として採用されることになったのでした。

 

8時間労働というのは、

いまでは当たり前ですが、

労働者の血と汗と、

活動家たちの命と引き換えに

勝ち取ったものだったのです。



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