おはようございます、ともやんです。
一昨日から降り出した雪も昨日の未明には止み、
でも昨日の通勤時は、電車が遅れるなどちょっと混乱がありました。
一昨日の帰宅時は、なかなか大変で雪国育ちの僕にとってはたかが20センチの積雪で何を大騒ぎしているかとも思いながら、されど首都圏の大雪は大変な騒ぎでした。
さて、プロ野球の話ですが、元大リーダーの松坂大輔は、今季中日ドラゴンズで入団することが決まったそうです。
年棒は1500万円。
サラリーマンにとっては、それでも俺の倍以上、いや3倍以上は、もらえんのか、と思いますが、松坂にとっては、僕らサラリーマンに年棒15万円で働いてくれという位のイメージの年棒だと思います。
松坂にみる「終わった人」の諦めの悪さ
松坂大輔37才、イチロー44才。
イチローの方が7才も年上で、野手と投手の違いはありますが、
イチローにはもっと頑張ってほしいと応援する気持ちになりますが、
松坂は、諦めが悪いよ、もうやめたらと思ってしまいます。
なぜか?
これは松坂の言葉にしっかり表れています。
「ここで諦めたくない」とインタビューに答えています。
多分、松坂のいう「諦める」はギブアップのことだと思いますが、
「諦める」とは、本来の意味は、「明らかに究める」という意味です。
つまり現実を直視して、そこから物事を究めることです。
はた目に観ると、松坂は、すでにプロ野球の投手としては「終わった人」というイメージです。
でも、本人はそんな自分を直視できず、いや直視しても究められないのでしょう。
一方、イチローを応援したくなるのは、明らかに究めた後も、まだ出来ると判断して現役続行を打ち出している訳で、それはファンから見たイチローの印象と一致するので、応援したくなるのでしょう。
小説「終わった人」にみる諦めの悪さ
前回も内館牧子作「終わった人」の批判をしました。
どういうわけかこの主人公の田代壮介には腹が立ちます。
それはどこなところかというとやはりその諦めの悪さなんですね。
この小説は「定年」小説として大反響を呼んだそうですが、
僕のように批判的な感想を持つ読者も想定して書いているなら、
内田氏は、さすがに超一流の脚本家です。
主人公田代壮介は、大手銀行の出世コースから外れて出向先で常務として年収1,300万円を貰いながら、
63才で定年退職します。
そして定年退職の日に、
「定年って生前葬」だな、と思うわけです。
ここでふざけんなよ!と思う人は何にかいるでしょう。
出世コースから外れたと言っても、そんなに忙しくない、出向先の役員になって年収1,300万円も貰っているのです。多分あとで分かりますが貯えも億以上はあったでしょう。
だって、定年後は特に働かないのだから。
しかもビジネスへの思いも、断ち切れず、ああ、やることがないと悶々とした日々をしばらく送るのです。
妻や娘からは、「恋でもしたら?」なんて言われ始末。
おっともう一つ腹が立つのは、奥さんが美人だということ。
小説の設定では、田代壮介より妻の千草は7つ年下。
こればかりは僕と一緒なのだが、
単行本20ページのこの文章は、腹が立ついうか、羨ましいというか
「サロンエプロン姿で、キッチンの窓から入る光を受けている妻は、五十七歳とは思えぬ愛らしさだ。まだ十分にイケる。」
なのです。
田代壮介は、その後カルチャーセンターで知り合う、久里という30才近くも年下の女性に恋をし誘います。
もういい加減諦めなさいよ、と友達ならアドバイスしたくなるよね。
※庭から見える丹沢山系と梅
諦めの悪さは自分かも
諦めの悪い小説の主人公田代壮介に腹が立つのは、
もしかして自分もそうだからかもしれないと思いだしてきています。
果たし僕は自分の現在を直視しているのだろうか?
現状を明らかにして究めているのだろうか?
若い女性に恋している自分に気づき、いい年してなにを考えているんだと顧みているのだろうか?
もう少し、自分を直視することから始めてみようか。。。
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